48年の時を経て 遂に?! 発動!!
”野川紀行”の続編に位置するモノですが、
今回のは更に純度を増したモノへと昇華させます!!
世の中の事象は全て、直接的なモノでは無く、間接的に認知される・・ 「例えられた”事実”である!!」 が故に、その例えられたモノを ”例えて” 発する事!! これが 「自分の言葉で・・」
日本語で言う所の”訓読み”に当たりますが、
自分の中だけでの抽象的なモノを 具象化して表現するに当たっての
・・一つのツールとして、言語を捉えなければならない・・ (>_<)
何故なら 言語という記号には・・
西洋で言うなれば、
フェルディナン・ド・ソシュールの提唱した シニフェ・シニフィアン
ってのがありますが、
日本語の”それ”に当たるのが 訓読み・音読み といった所でしょう。。
要は 「そのモノを例えるに 他を以て為さしめなければ成らない・・」
ってジレンマがそこには含まれて居る!! って事です。。
更に日本語ってのは
その・・ 音を当てはめたモノ=漢字・自体にも意味が含まれてまして・・
だから・・他言語よりも多分に 「同音異義語」「異名同音」が含まれてしまってるんです "(-""-)"
これが 表意文字としてのジレンマです。
良い意味で言えば 観れば分かる!! 象形的な・・絵画的な・・音楽的な・・形であり、
悪く言えば よほどの定置化させないと 言葉が独り歩きしてしまう・・
例えられた事実としては、
日本人ってのは とかく代数幾何が苦手であり、英語が苦手である事!!
代数幾何学の祖:ユークリッドが示した、
「線は幅を持たない」 ってのは 当に!! モノを即物化するには最適な考え方だと思います ( `ー´)ノ
しかるに・・ 日本のは・・
”字” 自体が 書道という芸術の域へと昇華を遂げてしまうくらいですからね・・
でも 悲観する事は全くありません!!
逆転の発想です!! 「逆もまた真なり!」
裏返してしまえばいいだけの事なんです <(`^´)>
私の言い続けてる 「モノの見方」 に同じです (*^_^*)
「知るという事は 知らない事を知る事である!」 と同じです (*^_^*)
私の言が 多言を要するのは、その言葉を説明するのには 他の言語を以てするしかないからでして・・
でも 心配はありません (^^ゞ
多言を押し並べて羅列してても、ベクトルの向きは”同じ”であり、
たとえ、その箇所が難解であっても・・
同じ事を他言を以て表現してありますから (^_^)/~
これが、「眺め詠み」であり、
一つの ”フィードバック” です。。
帰着点が始発点に・・
結果は全て過程の中に位置するモノなり!!
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