SNS等の過剰な発達により・・ 色々なモノが・・
私の ”知りたくない権利” ってのを 軽々と飛び超えて来るのが・・
・・昨今の世相ですので、
それに対してとやかくは言いませんが・・
ここは一つ それを逆利用して→ ”有り難いモノ” として捉えて講じます<(`^´)>
これは 決して ”言葉狩り” では無く、
”これ”を ”それ”に昇華させる為の:: 確率を上げる↑ために 有効活用するモノ!
と捉えて下さい (^^♪
これが ”大前提” です。。
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あまり過去を振り返る性分ではありませんが、ライブの裏話を少々…(特にこれからライブやるぞ〜!と思っている若人達へ) 写真の殴り書きは曲毎の時間を計算したものです。 当日の朝に頭を整理する為に書きました。 ジャズは自由な(ソロ)が醍醐味でありますが、これによってあえて制限をかける事になります。 ですが、遠方よりお越し頂いたお客様の帰宅時間、番組の終了時間等を考慮する責任がリーダーにはあると思います。 その上でメンバーが気持ち良く演奏出来る構成を考えたモノです。 当然この通りに事が進む事は稀なので、演奏中に時間を計りながら色々と微調整しました。 編成が大きくなる程に時間管理は大事です。 このやり方が正しいとは言いません。(私なりの考え方ってだけです) 好きな曲を好きなメンバーと演奏出来るのがリーダーライブです。 その反面、全ての責任もリーダーにあります。 「上手い人集めれば良いライブ出来るの当たり前でしょ」 なんて昔言われた事がありますが、とんでもない勘違いです。 何を演奏するか、 誰に演奏してもらうか、 アレンジをどうするか、 曲順はどうするか、 どこで演奏するか、 いつやるか、 値段設定はどうするか、 ギャラはどうするか、 その最も相応しい組み合わせを考えて、お客様とメンバーに楽しんで頂くのが大切だと思います。 自分が好きな事をやる為に多くの方々を巻き込むのです。 その上で自分が本当に楽しむ事が出来れば最高の喜びですよね。 そんな訳で、僕のワガママに巻き込まれた全ての人に感謝申し上げます。 お時間よろしければ、またお付き合いの程よろしくお願いします。
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↑ ↑ ↑ ↑ ↑
上記のモノが 彼の文面の一部(と言っても 8割方ですけどね・・)
ここで ”彼” というのを特定するのには 何ら益がありませんので、詮索はご無用に願います・・ 悪しからず・・(=_=)
「【 むしろ ”彼が出してくれた” この”考え方” ってモノ・自体を尊重し、
”有り難いモノ” として捉える態度こそが大事です!! (^^♪
|| ||
一旦、モノというモノを 無機物化して 有機物化させる事を目指す!! ( `ー´)ノ
って事です。。】」
何故なら ”これ” は、物事を考える上で=私の言う ”モノの考え方” として、
”同じ” という同格化が為され得るモノだからです。。
1つの、例えられた事実として!
過去に於ける、アルケー(万物流転)への設定こそが哲学の初めであり、
それには、各場面に於いて 、
① 制限された範囲内での”前提”を科して行く作業
無機物化し → ”有り” か ”無し” か?! という、
→ 同格化する事により モノ事の真偽を考察する、”批判する” 態度が必要であり、
それによって、前提:「AならばBである」=真である
② これが、必要十分条件を満たしているかどうか?! って事・自体を審議する態度であって、
そこで得られた”解=真”を その制限された:過程へと フィードバックさせてやる!!
って考え方なんです。。
これは別に私が考えた訳では無く、
私が考え付いた考え方ってのが、過去の過程に於ける課程・仮定と”同じ”だったって事に過ぎないんです・・ (^^ゞ
万物の根源(アルケー)を ”火” に在る! としたヘラクレイトス。
ピュタゴラスはそれを ”数” に求め、
師:ソクラテスから 問答法(弁証法)、無知の知 を学び、
ヘラクレイトスの「万物流転」:「感覚的事物は絶えず流転しているので、そこに真の認識は成立し得ない!!」ってのに 幼い頃から影響を受けて育った:プラトン
彼は、国家・公共に携わる政治家を目指していたのに、政権の惨状を見て、現実政治にかかわる事を避け・・これが 前項でも触れた 「アテネ」での政争に明け暮れていた時期に同じです。。
そこで彼:プラトンは 30代からは 哲学の追及と 政治の統合を目指して、
アカデメイヤ という学園構想を抱いた訳でして・・
そのアカデメイアにプラトンが60歳の時に入学したのが、17歳のアリストテレスだったって訳です。以後20年間プラトンの元に学んだらしいんですね。
プラトンに戻り・・
40代の時に行った、シチリア旅行で ピタゴラス学派の連中と交流する事により、
数学・幾何学と 輪廻転生する不滅の霊魂::”プシュケー” の概念を構築。
↕ ↕ ↕ (対としての)
感覚を超えた 真実在としての 「イデア」 を作り上げて行く訳でして・・
イデア論ってのは プラトンが説いたモノであって・・
「本当に実在するのはイデアであって、我々の肉体的に感覚している対象や世界というのは
あくまでもイデアの 「似像」 にすぎない!」 ってのがその概略なんですけど・・
そのイデア論に対して、2000年後(1596~1650)に フランスのデカルトが
「相対主義」デカルト革命を起こすんです!!
↓ ↓
主観性ってのは事物の把握の仕方が個々の主体に依存しているのであって、
「ある人には、風は暖かく感じられ、
また別の人には、その風は冷たく感じられる」
ごく当たり前のような感じでしょうが、ここでの最大公約数は次の言葉・・↓
↓
「万物の尺度は人間である!」 って事です。
我々が感じようが感じまいが・・風は吹いてるんです・・
だから、太古の昔から ”暖かい” ってのは ”同じ” であり ”同じ” では無い・・
だから、その ”同じ” ってモノを沢山 例に挙げる事によって
その”同じ”に含まれて在る ”違い” を抽出して ”同じ”を偶像化しようとしているのが
私の、このホームぺジの主旨でもあるんです <(`^´)>
その意味では 私の場合: 「イデア=同じ」 って事になります \(-o-)/
私の 似像ってのは 対偶⇔偶像ってのに他ならずして・・
モノの考え方ってのは、2500年経っても 同じなんですよね・・
私が、 私の真なる事を 「虚無僧ぅ~ャ」 を以ってして為さしめようとしている態度が・・<(`^´)>
余談ですが、ルネ・デカルトは 「我思うゆえに我あり」という
考える主体としての自己と その存在を定式化した人であり、
↓ ↓ ↓
私にして見れば、それは 「立ち位置の問題」:過程に於ける課程 なんです。
彼は云わずと知れた XY軸を作った人で、その事が物語るのは
2つの実数によって平面上の点の位置(座標)を表す! 事にに在るんです!!
この成果によって、、 今に続く 解析幾何学の発展の基礎を作ったって訳です・・
高校の授業で習う、 ”基礎解析学” ってのは この様に、
イデアってモノを、人間の持つ自然の光(理性)を用いて真理を探究しようとした過程での ツールの一つに過ぎない・・って事だったって事を知る事! が重要なんですよ!!
また彼は、それまでラテン語で書かれていた論文や、通例ってのを、フランス語で書く事を奨励した人でもあり、これもまた 私にとっては 自分の言葉→日本語の訓読み ってのと同じなんですよね\(-o-)/
その後のフランス文学が明晰かつ判断を指標とする様に為った訳でして、
この様な彼の姿から 彼は 「近代哲学の父」 と呼ばれるに至ったって訳です。。
ほぼ同時期の ドイツに於ける マルティン・ルター ってのと同じです!!
不思議と?! その約50年後・・
ジャン・ジャック・ルソー(フランス)と
イマヌエル・カント(ドイツ)との関係ってのは
ルターとデカルト・・
尺度が違うだけの ”相似比” に観えて仕方がないのは 私だけだろ~か?! (=_=)
まあ、カントってのは 「ドイツ観念論哲学の祖」 って呼ばれてる訳なんですけど、
自己意識・精神・自我等を根源に ”自己展開” を開いたのであって、
私の言う所の ”私が=I” を 始点・視点 にして!! ってのと同じなんですね・・
”同じ” って事で言いますと、彼らの中には ”音楽家” が多いんですよ・・
特にルソーは 音をより数学的に表現するための→ 「数字記譜法」を発案した人であり、
音楽の歴史的に言えば・・ マルティン・ルターこそは、
現代に続く西洋音楽を作った 源流の一人である!! と私は思ってます!!
(これに関しては 10万語では足りない程の文字数を要しますので、
また他項にて・・ (^^ゞ )
”基礎解析学” が出て来たついでに?! ”代数幾何学” も同格で在るが故にちょこっと触れて置きます・・
高校数学の授業でも 2つは並び称されてますからね・・
学校では それらは ”命題化” されてしまって、目的化されてしまってたがゆえに、
一部の その道に興味がある人とか、謎解きが得意な人・・達にとっては 面白かったかも知れませんが、私にとってみれば、
そういった 「・・ごっこ」 には興味が無く、
一体!何に付いて問われているんだろう?! って事・自体に興味があったのですが、
大人たちは誰一人として応えてくれる人は居なく・・
その後30年を経て やっと自分の言葉へと辿り着いた・・って訳です。。
上記からも述べている様に、これらは皆 真を表現する為のツールであり、
真を見付ける為の方法なんですね・・ <(`^´)>
「解を求めて探しに出て行く人のための アストラーベ(羅針盤)」って事です。
「解」を持っている 学校ってのは 解の中でしか その存在は無く・・
つまり、学校問題・・いじめ、学級崩壊・・などの 未解決事件ってのを
学校自体が 解決出来なかった!! って事実を 私はこの目と耳と鼻と口と・・
全てを使って視て来てますから・・
そこを 否応が無く 通って来た子供たちは 解のある世界を通って来た訳でして・・
当たり前ですが 大多数の子達は その解の中で、同じように育って来るのであって・・
自然現象として ”同じような顏” になって来るって 寸法ですよね・・ (-_-)
学校教育で教えるべき事は、道徳の科目を増やす事ではなく!!
その ”解”が どこの位置に科せられたモノか?!
ものがたる(物語る) 必要こそあるのであって、
その物語の中にこそ 道徳ってのは含まれて居る!! んです!!!
解が在る事を前提にした差別ってのは 分別を付ける! って事が前提としてある訳でして、物事を 最大公約数からの 減点採点しか為し得ないんです!!
真の差別しない!! ってのは、うんと差別した結果のモノであるべきであり、
宗教的に ”中立” ってのは、あらゆる宗教を学んだ後に得られる領域であり!
最初から中立ってのは無いんですよ!!
それを教える事が出来ないのは、
そもそも 100点満点でしか子供を評価できない教師が多いですからね・・
数字の訓読みが出来ない輩の、多い事・多い事・・
なのに ”学校” という 絶対的な:伏魔殿の”場”を与えられた彼らが私にしたこと、
そして、現在もやってる事とは!!
卑怯な振る舞い です!! もちろん、数パーセントの以外者もいますが・・
解を求めて→ ってのが人にとって最も重要な ”活きる” ための行動原理であるはず!!
なのに・・ (-_-)
あ・・すっかり道が逸れてしまいましたが・・(^^ゞ
”代数幾何” についてでしたね・・(^^ゞ
人間が言葉を使って! 考える!! 時に編み出した論法の一つです。。
1:集合論
2:モデル理論
3:再帰理論
4:証明論
ってのが 大きくそれをタグ付けしたものであって、難しそ~な感じはしますが、
どれも ”同じ” ですので心配は要りません・・ (^^♪
その中で、日常的なモノに対して 数学的対象を描写する言葉を与える為に!!
ってのがそれでして・・
ちなみに人類が初めて、自然界のアルゴリズムに気が付いたのは、 太陽と、お月様で、そのお蔭で、天文学へと結び付き、一日、一年・・ という 小節が出来たんだと思うんですね。。
つまり、自然現象に於ける アルゴリズム → 目に見える:解る ”法則性”
ってのを形にしようとしたのがそれなんですね \(^o^)/
更には・・
ユークリッド(エウクレイデス)です!!
彼は アレクサンドリアで活動していたらしいのですが、
古代ギリシャの産物である、
ヘラクレイトス→ソクラテス→プラトン→アリストテレス
アリストテレスを以てして 形而上学ですけど、、
アリストテレスを家庭教師・政治顧問として アレキサンダー大王が一世を風靡した訳でして、
アレキサンダー大王亡き後、彼の食事係をしていた人が治めた地が、アレクサンドリア だった訳でして、
国家予算の 何と!! 半分も使った 大図書館を有してた訳でして・・
それだけ学問が豊富にあった国に居た ユークリッドってのは 他ジャンルに長けた人達との交流が有ったのは当然でして、
そこで培われたモノが形に為って その著書が ”原論” でして、
その原論ってのは 20世紀初めまで ヨーロッパの教科書として使われてたんだとか・・
私のよく言う 最も好きな ユークリッド幾何学の定義::
::線は幅を持たない長さである
::線の端は点である
これは物事を考える上で 最重要・前提だとおもうんです!!
然るに・・書道ってのを見たら・・
上記の 2つの禁を犯しまくってるではありませんか!?!
「永字八法」 なんてのは禁足を犯しまくった ご乱行に他なりません・・
でもこれが、芸術の域へと昇華するんですね~ 特に・東洋では。。
でも、これが 日本人にとって幾何学ってのが苦手な分野であり、
日本語自体が 折れ線グラフでは無く 円グラフ的に 仕立て上げられてしまってる結果・・だと言ってるんですね (-_-メ) ← 私が言ってるんです・・(^^ゞ
順番が逆なんですよ・・
代数幾何ってのは 「 代数幾何学=体 」 として考えるモノの考え方であって、
対応する言語の統語論的要素の手段によって、意味論的要素を分析しようとするものなんです。。
つまりそこには 必ず 制限された範囲内で! という前提が在るんですね!!
それは、ユークリッドの互除法ってのが典型的なアルゴリズム:2つの整数の最大公約数を求めるためのものであって、それが 言語学や関連する分野においての、
問題を解くための手順を定型化した形で表現したモノであり
それが ”算法” ってやつでして、
問題は、その解を持っているが、アルゴリズムは正しくその解を得る為の具体的手段、
および根拠を与えるモノである!! ってのが根幹に在る!! って事を理解して置くべきなんです!!
それから約1300年後に
アルゴリズムは、コンピュータが情報を処理する基盤である。
プログラムは基本的にはアルゴリズムであり、コンピュータが特定のタスクを実行する為のステップをコンピュータに指示する!!
・・というのが アラン・チューリングが考え出した、チューリングマシンであり、
この考え方自体が コンピュータ概論に為ってるんです!!
彼は 第二次大戦中 ドイツ海軍で使われてた 海軍暗号器:エニグマ を解析した事で知られてるんですが・・
要は、解が在るモノに対して、
その解を得る為に コマンドを科す ってモノを作ったんですね。。
これは先に述べた 3:再帰理論 ってのに当たります!
ちなみに 4:証明論 ってのは、証明を数学的対象として形式的に表して、
それに対し 数学的解析を施す!! ってなもんでして、
ここに ”対偶論” ってのが登場して来る訳なんです!!! <(`^´)>
しかし、ここでのジレンマとは、数字的には対偶が証明されれば、そのモノも真である!!って事が証明される訳なんですが・・
文字を使ってのそれは 必ずしも ”真” とは為り得ないんです・・ "(-""-)"
まぁ 当たり前ですよね・・(^^ゞ
(あ・・言い忘れてましたが、
1:集合論、と 2:モデル理論 ってのは、ユークリッドに代表されます。)
代数幾何って・・ 他の記号に ”置き換え” てるんですから・・"(-""-)"
言葉とか文字も 同じなんです!!
そのモノで無い以上 置き換えての モノ ですから・・
この言葉の二重構造が ルソーの言う シニフェとシニフィアンってやつです。。
私から診ればそれは、日本語の音・訓読みであり、
イデアってモノ自体に ”みる” だけのモノではなく ”みられる” モノ ってのが含まれてるってのと同じです \(◎o◎)/
だからこそ!! その ”置き換え” ってのの 立ち位置・決められた範囲!!
っていう ”前提” ってのが 最重要なんです!!
何故なら、
そこに在る ”解” は
そこに在る ”前提” を基にして成り立って居るからです!!
その前提を科しているのが 私である!! ってのが
これら全ての前提を科してる 大前提に在る!!
私の視点が始点になっている事!!
↓ ↓ ↓
これが必要十分条件になります。
「全てはそこに含まれ、そこは全てに含まれる」 がゆえのジレンマであり、
それが自然の成り立ち:フィードバックだからです!!
冒頭に挙げた例文を基に、話しをする予定だったのが、
その”前提”を話すために 多くの文面を必要としてしまいました・・
でも実は、この事自体がモノの正体を表している訳でして・・
この ”前提文” 自体に この後述べる、例文の ”解” は含まれてるんです!!
逆に言えば ”解” を述べる為の ”前提文” って事に、フィードバックされる!!
って事です・・
「そうであって、そうでない!」 って事と ”同じ” です。。
次項はいよいよ ”本丸” です <(`^´)> ⇒
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