そのモノを決めるのは他を以てして為す!!
これが前提でしたら、我々の目に見える 実像としての・哲学の最高峰は~
それはズバリ! ラグビー に在るんです!!
「世の中に ”実” として その形を偶像化してくれる!」 という意味では・・
私にとっては、スポーツこそが 地点と時点を区切り(切り取り)
その中で ルールという 互いに請け負う形での決め事を順守する!!
範囲内での勝敗の行方~
という 目に見える形での勝敗が決まる!! という点に於いて・・ です。
この20数年以上 南半球の スーパーラグビー・・ とりわけ ニュージーランドの
クルセイダース を軸に観てるんです \(-o-)/
ハッキリ申し上げれば、その形こそが 私の考える ”音楽” に同じで、
楽器の練習よりも 試合を観た方が イメージが膨らむ!! ってもんです (^^♪
ラグビーの特異?!性・・ ってのは、まず、、
攻防一体型のスポーツに於いて、同・フィールド内に居る選手の数が最多な事です。
15人vs15人 という・・
アメフトは 攻守で交替しますからね・・
そして 特に!! なのは、リスタートに於けるルールの設定です。。
点を取られた後の 取られた側からの再スタートの形が、それを物語ってるんです・・・
つまり、センターラインからのキックオフ、点を取られた側が、相手側に蹴る訳でして・・
点を取った:相手側のボールになる事を意味してまして・・
それが物語るのは・・点を取られた側が”有利”な形でリスタートされる訳でして・・
↓ ↓ ↓
・・という事は、ボールを持っている方より それを奪いに行く側の方が有利である!!
事の例えでして、、
結論・・
「ディフェンス側:有利」って事になります。
よく、ラグビーは タックルに始まりタックルに終わる! と言われる本意かと思います。
ここまで書けばお気付きかも知れませんが・・
そうです!! ディフェンスとは → ボールを狩る事!! 狩猟民族の為せる業なんです!!
ラグビーに於いてのディフェンスとは = 相手が持ってるボールを狩り取る!
って事なんです。
これは もちろん 状況(時間帯、守っている場所、チームの優劣・・など)によって違うんですが、、
そして、常に(区切られた)スタート地点ってのが、
ボールが在る所から! ~ → なんです。。
ボールが在る所が起点であり、その前に居るプレイヤーはオフサイドという反則者なんです!! プレイには参加資格が無い・・ という事です。
”常に” ここから~! の連続なんです!!
”ここ” と、 ”そこ” と、 ”あそこ” との関係に同じなんです。
スクラムや、ラインアウト等の セットピースはもちろんの事、
箇所箇所での ”ここ” の積み重ねが 相手ゴールへ近づく黄金律なんです ( `ー´)ノ
それは何か?! と言いますと、 ”接点” なんです。。
特に ラックと呼ばれる接点がミソなんです!!!
この・・ ラックに於けるボール争奪戦の結果が 勝敗を大きく分けるんです!!
その接点に対して いかに早く集まり、有利に動かせるのか?! なんです。
その接点の場を、いち早く予測する ”嗅覚” が必要なんです。
判断ってのが必要なんです。
その判断には、
奪えそうだったら人数を掛けてまで争い、ダメそうだったら早く諦めて 次の攻撃へと備える体制を取る!! ってのも含まれて居ます。
つまり、状況判断って事です。
常に そこにある ここが 全体のどこに属してるのか?! ってのを知る必要があるんです。
その過程の中に在る、結果としての接点が どこに在るのか?! ってのと同じです。
また、その接点ってのを 意図して そこに作る!! って考え方もあるんです。。
全ては 流動的なんです ( `ー´)ノ
そして その接点での ”小さなほころび” が 数秒後には フィールドに大きく広がる形で、その傷を広げる→ 結果になるんです。。
この辺が 接点を制する者が勝負を制する! って単語になります。
それらの積み重ねがゴールへと結び付くのですが、
これは不思議であって自然な事なのですが、、
ゴールを奪う形ってのは
どの球技に於いても同じで ”シンプル” なんです (^-^)
これは、基礎練習のそれと同じなのですが、、
結果としての・・ がシンプルな形となって表れている! だけなんですね (^^ゞ
これをはき違えて捉えるとエライ事になるわけでして (>_<)
幾多の選択を持っているからこその業でして、
最初からその形しか無い! とわかってれば、簡単に止められてしまいますからね (^^ゞ
複雑な形の組み合わせの結果が→ シンプルなモノである! という事です。
シンプルなモノ=基礎練習 だけやっててもダメ! って事です。
それが意味するモノとは??! という訓読みが出来なければ・・
その事が解っているからこそ ベテラン選手ほど 基礎練習を入念に行う訳でして、
その必要を知っているが故での行動なんです \(-o-)/
最初から基礎練・重視で教える 日本の教育が間違ってるんです!!
基礎ってのは 積み重ねられてきた来た 結果の集約 → 最大公約数 に過ぎない・・ってことを知るべきなんです!!
シンプルついでに・・
「世界一精巧な スイスの腕時計職人とは?」
ちなみに・・現在の1秒ってのは、原子時計では、
「セシウム133の原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の91億9263万1770倍の継続時間である」
正確かつ シンプルな1秒ってのは こんなにも複雑なモノが重なり合って
→ 出された結果・・なんです。。
数が多過ぎるので 例えをスイスの腕時計職人に置き換えれば、、
「大小様々な 同じであって、同じで無い 精巧に出来たギアの複雑な組み合わせ」
を以てして はじめて 正確でシンプルな時を刻む腕時計が出来上がるんです!!
最初から ボ~ん! と時を刻めるわけでは無いんです!!
音楽でも同じです!!
シンプルなモノ程 複雑なモノが噛み合っての→結果としてのシンプルなんです。
苦難の練習を経て、難しいフレーズを重ねるのは、
そのモノ= ”I” という 極めてシンプルなモノを表現しようとする過程であるべきなんです!!
ジャズミュージックってのは、その辺、他の音楽とは違って、
”I” を言うのに、他の音を使って~! ってのが定義に在りますからね・・
ピアニストや、他の楽器の人に、 C だからって ド ばっかりを弾かれては困りますからね・・
(( 余談ですが・・ ベーシストとしての私は、この ド を弾く必要が在ったって訳でして・・
だから、自分が請け負って その ド を弾く事の意味、弾く必要が 結果として出来て来た意味、っていう 過去の ”だから” を知る必要が在ったって訳です。
その過程で得てしまった・・?! 知識が この様に 他の事象へと ”引火” してしまってるって訳なんです (^^ゞ ))
この辺は、自然界の成り立ち → 自己相似性(フラクタル)が 自然を為す!!
ってのと同じ事だと 私は思います。
それ故に、”私” というモノが 確実に在るならば、
他者との議論を尽くせば尽くすほど 透明感が増す → シンプルなモノへと昇華する筈なんですけどね・・ (^^ゞ
嘘を付いている犯人ってのは (嘘を)話せば話すほど 物事が真っ黒な色になって行くもんでして・・
この辺は この国の政治家・官僚連中のそれに見える現象ですね・・ "(-""-)"
話しが逸れ過ぎて来たので、この辺で 場所を変えてからの話しにします "(-""-)"
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