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  • 執筆者の写真石川経清

その3 ト・ヘレニコン:と:オリンピア

近代オリンピックの概念:参加する事に意義がある!


ってのは、途中から参入した概念に過ぎないんです・・ (-_-メ)


物事を見る! とは その起源を視る事であり、

そのモノが必要で在った!! その時の ”必要” 自体を診る事なんです!!!


ジャズミュージックでの”それ”は、音楽のルーツであり、

つまり、サッチモでも、レスターヤングでも、チャーリーパーカーでもないんです!!


音楽の根源→モノを表現する:伝える 必要が在った!! ”その時” です。


最大公約数をせしめている、モノの根源である、最小公倍数にこそ在るんです!!!



それは 文字であり 言葉であり、つまりは ”文明” そのモノに在るんです!


その事を理解しないと 私は請け負った音を出す事が出来なかった!! って訳なんです(^^ゞ


時代を今から遡ると、

→ クラッシック → バロック → オペラ(ルネサンス) → スペイン・アンダルシアに於ける ”詩歌(しいか)” :詩歌で句束、行束に同音の語を置く事であり、”脚韻”が為されていて、当時(7c)にこれを取り入れていた文化は 中国・インド・アラブ人の3つだけだったんです。。

→ アンダルシアを為しめた ”古代ギリシア” → ウルク(古代都市):メソポタミア


なんです。。


壮大過ぎて(約1万年の経過を数行で表すのは無理がありますからね・・)


この様な時にこそ 物事を分けて考える → 前提を科す:同格化が必要なんです!!


音楽なら 

今の西洋音楽の源流はクラッシックに在り、クラッシックはルネサンス(相の復興)

その復興とは 古代ギリシャに在り、古代ギリシャは メソポタミア文明の結果で在る!

って事です。


言葉との同格化も非常に大事な前提条件となります。


それは、言葉ってのは、必ず先に 話す=音に出す ってのが在るからです。


今に続く”アルファベット”が有り難いのは、

青銅器時代から鉄器時代に移り変わった時代に フェニキア人が使っていた

アルファベットこそが 最も便利なツールであり、その後の時代に 有利に働いた・・結果だからなんです。。


この場合の同格化としては、

エジプトの”象形文字” であり、アッカト人の”くさび形文字” だったんです。

    ↑    ↑    ↑    ↑

抽象的な絵文字や、言葉の母音と子音を表すシンボルによって成り立ってたんです。


→ 従って、複雑な暗号の様なモノであり、それを使いこなせるのは 特別な教育を受けた、書記官のような 特権階級の者に限られてたんです "(-""-)"



これに対し、”アルファベット”は 

それぞれの文字が 話している言葉の ”音” を表しているので、意味を知らなくても読む事が出来る!

→ つまり、 「会話を録音するかの如く!」 であったので、教えるのも使うのも簡単で便利であったんです \(^o^)/

これが 鉄器と同様に 大衆化に大きく作用したんですね~ (^^♪


音=会話 って事になります。


その 会話ってのを形にしたモノが言葉という言語であるならば、

この 言語の形ってのが 音の形って寸法に為ります。


これが、 「A=B ならば」 っていう論法です (^^ゞ


つまり、音楽の源流は言葉に在り、その言葉をより相手に伝える為に編み出された?!

”詩”にこそ在るんです!!


特に ”韻を為す” という意味に於いては 散文では無く”韻文”であり、

その中でもとりわけ ”抒情詩” の中にこそ在る!! んだと思うんです。


相手に対して、自分の中に在る ”同じ” を なるべく ”そのままの形” で伝える事・・

ものがたる→物語る 事。

我々の身の回りに置き換えれば それは ”恋文”=ラブレター みたいなもんです (^_^)/~


今でも音楽の歌には ラブソングが多いのは その名残でもあり、本質でもあるからなんです (^^♪



あ・・・ いちいち説明・・訓読みしてると またまた 他の言葉を要してしまい、

この様な結果になって・しまってますが・・ これらの事につきましては また”他項”

にて・・ (^^ゞ




オリンピアに付いて・・


古代ギリシャのポリス(古代都市)の一つ オリンピアの地で、BC776年 初めての競技:200m走 が行われたのが始まりだそうです。。


大事なのは それが行われた時代背景であり、その必要が在った事であり、

その一部は 上記にて示しましたが、、


当時のポリスは 「自国への愛情と他国への嫌悪」 を以てして成り立っており、

男性は皆 イリアスの勇敢な戦士→アキレス にあこがれていた訳でして・・


「何事においても他者を追い抜き、常に1番になれ! 栄光は分かち合えないのだ!」


ってのが根底に在ったようです。。 

まぁ・・むしろ この方が 人の根底に 元々在る・・正直な所のような気がしますけどね・・


つまり、1番を決める! 事にあり、2番・3番は有り得ない!! って考えだったんですね・・ (>_<)


この様子を、最も”音”に出して表してる!!? 詩を紹介しますね (^^♪


作者は、ピンダロスという BC500年頃の詩人で、オリンピックの祝勝歌が多い人です。


          :: 勝負に負けた人への表現 ::


               ↓  ↓  ↓


「「 こそこそと家に帰り、母親や恋人に冷たくされ、人目を避けて裏道を歩き、負けた相手に鉢合わせしない事を望み、自分の不運を嘆く人々 」」


つまり = 「負け犬」 だったんですね・・ (≧▽≦)



これは当時の情勢・・球技場と戦場とでのそれを 同じ様に考えていたためであり、

ただし、団体戦は無かったみたいですけどね・・


一方・・

戦場では 重装歩兵戦が展開されていて、相手の弱い所を突く→集団前進戦が主となり、

つまり この様な戦い方ですと 特別な力を兼ね備えて無くても 誰でも戦いに加わる事が出来る様になり、その実感から→ 戦士となった市民が 権力を持つ事が出来る様になったって訳です。。


実際に戦ってみて 初めて自分たちの力を思い知る!!

って様は この国に於ける ”武士の台頭” と ”同じ” 様のような気がしますね・・


どの形っても 時代と地点が違っても ホント・・ ”同じ” なんですよ!!


先に触れた 青銅器時代→鉄器時代 ってのも・・

日本でのそれは 縄文時代後期→弥生時代 ってのに置き換えられますからね・・


ちなみに・・(が多くて申し訳なく思いますが・・)

青銅器時代ってのもキーポイントです!!


何故なら それまでの自然物:木や石を加工するより、より人為的に、便利な物を作り出せるツールとしての”青銅器” ってのは、

その加工する過程に 「銅9:鈴1」 の割合で配合する必要があるんです。

そして その原材料たる 銅と鈴は 同じ個所での採掘は出来なかったんです!!


この事実は、つまり → ”他の場所と交渉・貿易という交易をする必要が在った” ってことを例えてくれている訳でして、

交流の意味が ”含まれて居る” んです!! そこには必ず言葉ってのが必要だったって事でもあるんです!!

日本のそれとは違って 大きな移動範囲って意味に於いて・・

日本の村社会→ ”顔が見える範囲” ってのとは違う! って意味です。。


あ・・ これまた余談ですけど、

日本の村社会の最も表れてる 「言葉=音」 ってのは ズバリ! ”方言” に在るんだと思います。。


これがまた、顔が見える範囲では 素晴らしく機能する! 便利でかつ、必要で在ったツールなんですね・・


秘湯や、染め物、特別な技術を要する特産物・・

それらを 外部=よそ者 から守るには・・特に!!


自分達だけでのみ伝わる → 特別な ”隠語” であり、

よそ者が入って来た時に 話せばすぐ分かる!! 

って、魔除けとしての ツールでもあるからです。。



この地方独特の、なまりが無いって・・ね・・


これは 日本の村文化=「内と外」、こちら側と あちら側 という分け方に根付いて居ます・・(-_-)

「引きが強い!!」 って事です。。 

これにも多項を要しますので 機会がありましたら他項にて・・ (^^ゞ




ちなみに、古代ギリシアの 国王を追い払ってしまった→ ”寡頭制政治”

→ ”君主制政治” へと移り変わったのは この集団戦法がきっかけとなった訳ですが、


一つだけ例外があったのが 云わずと知れた?! ”スパルタ” です。


ギリシャ本土:オリンピアの南に位置するこの地には、2人の国王が存在し、

通常の都市国家に有るモノがここには無かったんですね。


政治の中心地は無く、都市を囲む城壁も無く、貨幣も無い・・


私には 日本の村社会のスペシャル版だと思えてならないんです・・(^^ゞ


その中に於いての・・ホモイオ:「同等な者」 のギリシャ語。

ユートピアの調和を乱すモノの禁止・・

我々と彼等の区別は有ってはならない!」 という禁止であり、

その意味での 自由は無かった!! って事です。。


今の我々にとってのスパルタって単語は、


男児が生まれても 病弱であれば殺す!


”アコゲ” : スパルタで、7歳~19歳の少年が入る軍事訓練所(13年の訓練を受ける)だけを指すんですけどね・・ (^^ゞ


アテネとスパルタは争いを続ける訳ですが・・

一応?民主的な”アテネ”と 共産主義的な?”スパルタ”

さて、どちらが?! という問いは 現在のと”同じ”です。。


民主主義的であっても 政敵を追い落とす・・

その被害者の一人がソクラテス・・だったのは言うまでもありません・・"(-""-)"


ソクラテス→プラトン→ ”アリストテレス” が王道政治を説いたのは自然の成り立ちだったんです。


そんな、スパルタとアテネとの戦いに明け暮れた、ギリシャの中で、

ギリシャ文明北部の地:マケドニア王フィリポスⅡ世の息子 :アレキサンダー大王の登場、その家庭教師だったのが アリストテレスですから・・

彼の王道政治を 家庭教師という立場を利用して、アレキサンダーを使って実現した!

とも言えるんですよね (^^♪



日本に於いてのそれって何?!・・


TBSの水戸黄門ってドラマです。。


「おてんとう様はお見通しじゃ!」

「悪い奴は懲らしめてやる!」


という・・大前提(”善”) があって、ドラマでの話しが成り立って居る!

って点に於いて・・です \(-o-)/


上に立つ者が為す、王道政治に他なりません・・ (^^ゞ

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